私たちはどうしてこの世界に存在しているのだろう。どうして生まれてきたのだろう。そして誰もが死ななければならないのは、どうしてだろう。なぜ生まれによって差があるのだろう。

 苦悩、苦難の中や、迷いの中にいるとき、人は思いを巡らせますが、堂々巡りで、確かな答えが得られません。いろいろな書物に手を伸ばしてみても、明確な答えが書いてあるようで、その実、生きても100年程度の人の書いたものに人生をかけることができるでしょうか。わからないまま生まれてきて、不確かなことを漠然と信じて、あいまいなまま生きる。どこへ向かっているのかもわからず、気が付くと人生の大半を過ごしてしまっている。・・・愛する人と過ごすことで幸せになれる。しかしやがて死がそれらを分かつときが来ます。たのしいことをたくさんして過ごそう。楽しいことはやがて終わります。私たちはどんな境遇であれ、やがて来る死を前に意気消沈するほかないのでしょうか。また、天涯孤独や不遇の身の上の方に、人が感じる喜ばしいことが来るのでしょうか。

 

 なぜこのようなことになってしまったんだ。私はどこでどう道を間違えたのか。正しい道はなかったのか。

 

 人は、神様が神様に似た者として作られ、その髪の毛1本1本までも神様は知っておられます。創造者が私たちの喜びの基も知っておられ、神様のもとに帰り、共に歩むことこそが、本来の私たちの幸せであることを、聖書を通し今も語りかけ続けてくださっています。アダムとエバは、神様と共に過ごす蜜月を味わい楽しんでいました。造られた方を全被造物と一緒に喜び、神の栄光を感謝し、神様もそれをよろこばれましたが、1つの約束事を人に与えました。これは命令ではなく、選択の自由を人に与えるため、進んで神様の約束を選択する喜びを神様と共に味わうためでした。しかし、サタンにそそのかされたエバとアダムが、それを食べたら必ず死ぬといわれた木の実を食べ、心に罪が入り、死ぬことになりました。聖であられる神様のもとにいることのできなくなった2人は、裸であることを知り、神様の前から身を隠し、エデンにもいられなくなりました。かわいそうに思った神様は、そんな2人のために、獣を屠って毛衣を彼らに与えました。そののち二人にこがあたえられますが、子には罪にかたよる性質も受け継がれていました。私たちにも、その性質は受け継がれていて、今も神様との間に罪があることによって断絶状態にあるのです。

 創造者であられる神様は、こんな断絶状態のままで人を見過ごされる方ではありません。アブラハムを通し、イスラエル民族を選び、その存在を世界に示し、同民族から、救い主が、神様と人との間をもう一度とりなし、関係修復してくださる方を遣わしてくださることを、神さまのみことばによって約束なさいました。イエスこそ、その約束の方です。この方以外に人間に与えられている救いはありません。アダムとエバの罪を覆うために、最初の獣が屠られました。イエスは神の御子であられ、罪がない聖い方ですが、私たちの罪のため、その命と引き換えに、罪の代償として十字架にかかり、身代わりとなって下さいました。私たち全人類の罪の代価を自らのいのちをもって贖ってくださいました。ここに神の愛があるのです。それだけではなく、聖書の示す通り、3日後にイエスはよみがえられました。もとより罪のない方はその死を打ち破り、よみがえった御体を人々に表わし、人びとに復活の希望を現実のものとなさいました。そののち、もう一度おいでになる約束と、一人一人の心に住まわれる御聖霊を与えてくださる約束を成就するため、天に帰られました。

 「イエス・キリストは神の御子である。」この信仰告白は、聖霊によらなければ口にできません。しかし、これを求める者を神様は拒みません。どんなに罪深くても、悔い改めたいと思うものをイエスは赦してくださるのです。事実、ご自身のことばで「わたしは罪人を救うために来た。」と語られました。人のかたちをとって生まれてくださった神の御子イエスは、人の弱さを身をもって知っていてくださる方です。だからこそ赦し、とりなしてくださるのです。救いはキリストにあるのです。

 イエスこそ救い主であると信じる信仰によって、罪を示され、悔い改めに導かれ、新しいいのちが与えられます。もはや私が生きているのではなく、キリストご自身が私たちの信仰によって心の中で生きてくださる。そうなるとどういったことが起こるのでしょうか。私たちは信仰によって、罪ゆるされたものとされ、キリストの命によって聖いものとされ、もはや死は私たちを縛ることさえできなくなってしまうのです。死は復活によってその力をうしないました。人は誰しも肉体の死を経験します。「人は生まれ変わらなければ、だれ一人として神の国を見ることはできません。」というみことばのとおり、信じている者も、信じない者も、肉体の死を経験します。死なない身体を与えられるのではなく、生まれ変わるのです。イエスの与えてくださる永遠のいのちは、新生のいのちです。死はとおり抜けるもの、くぐるものへと変えられ、恐れではなくなるのです。キリストを信じなかった者には、その希望がありません。

 神様と人との関係をとりなしてくださった、イエスの前に出ましょう。罪を告白し、十字架の贖いによって、その罪を死と共に葬り、新しい命をいただいて、復活の主と共に生きましょう。やがて主はもう1度こられます。その時、イエスを救い主として受け入れた者と、そうでないものとを分けられます。信じた者を天の御国に、信じなかったものを永遠の燃える硫黄の中にサタンと共に投げ込まれ、永遠に苦しむと、聖書に書かれています。

 「 はじめの愛にかえる。」 私たちの人生の時間は、神様のもとに帰るためにあります。神様を知り、その栄光を褒めたたえるために用意されています。創造された神様が望まれる関係こそ私たちの本当の喜びなのです。これは消えてなくなることはありません。イエスを信じましょう。

ヨハネ10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
     11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」     


共に神の前に讃美と祈りとをもって、贖いの感謝と復活の喜び、やがておいでになる約束を待ちわびつつ、神様を褒めたたえましょう。永遠に神様のもとで憩いましょう。

今はめぐみの時、今は救いの日です。 Ⅱコリント6:2

 

 【新改訳改訂第3版】
ヘブル
9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
 9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、
 9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
 9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。
 9:16 遺言には、遺言者の死亡証明が必要です。
 9:17 遺言は、人が死んだとき初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は、決して効力はありません。
 9:18 したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。
 9:19 モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、
 9:20 「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。
 9:21 また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。
 9:22 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
 9:23 ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
 9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現れてくださるのです。
 9:25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。
 9:26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
 9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
 9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

 

 

                            

 

問 今があり、未来があるなら、世界の始まりって?

 

聖書 初めに、神が天と地を創造した。       

                               創世記1:1

 

問 神様はなぜ、全てのものを造られたのか。

 

聖書 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。

                               詩篇19:1

 

問 人間にとって正しい生き方ってあるのかな?

 

聖書 あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

                               コリントⅠ10:31

 

問 どうやって神様のことを知ることができるんだろう。

 

聖書 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

                               テモテⅡ3:16

聖書 神の目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

                               ローマ1:20

 

問 神様ってたくさんいるんじゃないの?

 

聖書 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。

                               申命記6:4

聖書 わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。

                               イザヤ44:24

 

 

 

 

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